講演
「文化」的言語としてのデザイン

 柏木博(武蔵野美術大学教授 )


たとえば、クリネックス・ティシュ・ペーパーや紙コップや紙タオルのデザインは、「使い捨て」という生活を作り出してきたといわれる。しかし、その使い捨ては単に消費社会にかかわっているだけでなく、わたしたちの「衛生観念」に深く関わっている。同様に、冷蔵庫や洗濯機の「白」いデザインも、わたしたちの「衛生観念」のありかたと深く関わってきた。つまり、デザインは、このようにわたしたちの「文化」の言語を形成しまた、「文化」の言語として機能してきた。

デザインを「文化」的言語として認識するなら、デザイン史の観点からみれば、デザインが、わたしたちの思考や感覚、そして社会のあり方とどのようにかかわりを持ってきたのかということが問題となる。

デザインを「文化」的言語として認識すると、それは、かってM.マクルーハンが議論した「メディア」という概念にもちかくなる。しかし、ここで注意しなければならないのは、いわゆる「技術的決定論」に陥ることをさけなければならない。

戦後日本の社会がアメリカ的システム社会を目指したことと、アメリカ的デザインを受け入れたことは無縁ではない。1946年から1948年にかけてGHQの指導のもとに家具や電気製品を日本で生産したことは、日本の戦後社会に大きな影響を与えた。

誰もが消費者であるようなシステム社会の中にあって、近代の市民社会の論理は希薄化している。そうした中で、新たな社会を構想するデザインは可能か。新たなデザインの倫理と論理は構想できるか。

(講演のサマリー)